フジコ・ヘミング

リンカーンセンターまでは、ちょっといい服でゴトゴトと地下鉄で行った。
週間NY生活という、NYの日本語新聞(タダ)で広告を見たフジコ・ヘミングのリサイタルのチケットを取ったのだ。1人60ドル。こういうのに行けるのも今の内、というマジックワードを心の中で何度もつぶやきながら取ったチケットだ。

ピアノのコンサートなんて姉のピアノ発表会以来20年ぶりだろう。

フジコ・ヘミングのことは昔テレビのドキュメンタリーで見たことがある。その程度の知識で乗り込んだ私は、開園を待っている間、フジコ・ヘミングウェイと連発したり、ジャズではなくてクラシックだよね?と聞いたりして周囲の人の苦笑いと冷笑を誘う。すいません・・・。
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開演前にシャンパンを買いに行こうとしたら、やたら厳しい白髪の係員のおばちゃんに、「あと3分で始まるから」と止められた。酔っ払って聴いたら感動が2割り増しぐらいになるのに、残念だ。

コンサートは文句無くすばらしい。何度もゾゾっと鳥肌が立つ。有名な曲ばかりの演奏なので、素人の私には丁度良い。知っている曲も、聴いているうちに自分の知っていた曲とは違った曲、違った印象になっていく。ああ、これが解釈という奴か。何度かカンドウで涙がツツーッと出た。

貧乏性なせいか、こういう芸術系のリサイタルでは、泣かないと損な気がする。果たして感動しているかどうかは別としてである。正直なところ、恐らく私の涙を因数分解すると、本当に芸術作品に対して感動しているのが5割、高尚な芸術に感動する自分の姿に酔っているのが3割、感動しないと損だから・・・というのが2割ぐらいだろう。その結果、ほぼ確実に泣ける体なのだ。特に50ドル以上のパフォーマンスだと、外れた悔しさを認めたくないこともあって、よっぽどひどくない限り泣ける。

暗い中でがんばって演奏目録を読んで、今誰の、何の曲を演奏しているか確認した。ウンチク好きの私はこういうのは一生懸命読むのだ。帰ったらITuneで復習だ。

終了後、したり顔で、
「いやあ、最後のチョピンの曲は最高だったね!」と言うと、
「それはショパンと読むんだよ・・・」と教えてもらいました。

さあ、今日はMETでフェルメール展に行くぞっと。
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by noritaya | 2009-09-21 15:02